どうも頭がボーっとすると思ったら38度5分も熱があった罠。
それで思いついたんですが、未知なる世界を冒険しようと思ったら一番怖いのはやっぱり病気。未開の地の未知の病気に対して様々な医療スキルで戦うRPGというのはどうだろ。過去に似たようなの書いたけど。
この間図書館へ行った。唐突に行きたくなったのだ。たぶん雪が降ったあとだから遠出したくなったんだと思う。このことは別に本題と関係ない。
さて、僕の家から図書館へ向かうと、途中で我が母校の横を通ることになる。というか僕の家は小学校への通学時間5分という運動不足を誘発しそうな場所にあるので、どこに行くにも大体母校の横を通ることになる。このことは少し本題と関係ある。
その学校の校庭には遊具がある。その遊具の中に、登って遊ぶ、大きくて綱でできたネットがある。正式名称を知らないし説明もしづらいので伝えにくいのだが、よくあるトランプを立てかけて作ったタワーを想像し、さらにそのトランプの絵柄部分が目の粗い網になっているものを想像すると思い浮かべられるそれだ。実際には2本の木材を「入」という字のような感じに組み合わせて、それを2セット平行に並べて、間に綱を渡して網状にしたような感じだ。片面は網が緩く貼ってあり、垂れ下がって傾斜が緩く登りやすいようになっている(その分、あとあと角度が上がってきつくなる気もする)。もう片面は網が比較的ぴっちりしていて、急角度で歯ごたえがあるつくりになっている。このネットが本題。
こいつは大きかった。頂上は校舎の2〜3階に相当する高さを持っていたような気がする。ジャングルジムとかターザンロープ(緩く傾斜をつけて張った長いロープに滑車つきの短めのロープをくっつけ、「アーアアー」と滑る)とか、それなりの規模がある他の遊具をも圧倒して追随を許さない迫力があった。もちろん鉄棒や砂場など相手にもならない横綱的存在だった。だったはずなのに、
はずなのに図書館へ向かう自転車から遠巻きにみたそれは、なんだか小さいような気がしたのだ。こんなもんだっけ? と思わず口に出したような出さなかったような、いやたぶん出さなかったと思うがでも出したくなるぐらい、とにかくやたら弱そうにそれは見えた。
何故そんなに小さいのか? おそらく正解はただ単に遠くから見たからだと思うが、その時はそれは考えなかったから今も考えないことにする。それじゃ日記のネタにならないので。
まず考えたのは身長の差だ。小学校卒業から今までで、おそらく20センチぐらい身長が伸びていると思う。景色も違っているはずだ。しかし却下した。僕は自転車に乗っていたので、目線の高さと身長の関係はあまりない。
では逆に本当にネットが小さくなったのか? 高すぎて危険だとか言う理由で。いや、そんな工事が行われていれば近所に住む僕は気付くはずだ。同様に、ネットの近くにある遊具や校舎が大きく建てかえられたせいで小さく見えたという可能性もない。
答えはおそらく、僕の思い込みだろう。おそらく物心ついていない小学校低学年のころ、僕はあのネットをとてつもなく大きく感じたのだろう。身長は今と50センチぐらいは違いそうだし、大きな建造物もあまり見たことがなかったはずだから、それはよくわかる。そして、そのネット=やたら大きいという印象は、物心ついた高学年になっても残っていて、また毎日見るものだけに修正もされず、僕はネットを大きい大きいと思い込んでいたのだ。そして学校から離れて(えーと。うわ、もう)5年。ようやく思い込みから解放され、ネットは小さく=本来の大きさに見えた。
このことからわかるのは、毎日接しているものというのはよく見ているようでいて、実際は毎日接しているがゆえに変化を見落とし、本当の姿を見ていない可能性があるということだ。そしてそれを防ぐには距離を置くことだ。一旦それから離れて、新鮮な気持ちでそれを見ることで、また新しいことに気付くのだ。具体的には、小学校の遊具を見て更新のネタを仕入れたりできる。
さてその意味で大掃除というのは、一旦距離を置くのにも、距離を置いたものと再び出会うのにもちょうどいい素晴らしい習慣だといえる。さっそく僕も始めようと思う。えーとまず、この漫画と文庫の山を並べなおしたい。並べるにはスペースが必要だ。つまり床に散らばっているこまごましたものどもを押入れに放り込む必要がある。押入れに放り込むためには、当然ながら押入れの掃除が必要だ。押入れの掃除には家族の協力が不可欠だと思われる。しかし家族は今出かけている……。ああ、面倒だ。えーと、図書館にでも行こうか。