昔々の物語として始まった「ドラゴンボール」は、長い年月を経て現代に帰ってきた。
その中での数々の戦いと戦士たちの勇姿は、知っている者は少ないにせよ、語り継がれて行くはずである。
だがここに一人、数々の戦いの中で一度も勇姿を見せられなかった男が居た。
かの美形の天才ヒーロー、ヤムチャである。
故郷の砂漠で静かに暮らしているヤムチャは、 最近カプセルコーポレーションで開発された文明の利器、インターネットに興じていた。世界の各地にあるコンピューター同士を電話線でつなぐと言う、まさに革命的なシステムである。
「ふう。なんとかYamoo!(ヤムー!)にたどり着いたようだな。 どれどれ、オレの名前で検索をかけて見るか……」
ヤムチャは右手の人差し指のみを使って「ヤムチャ」と打ち込んだ。
人差し指のみでもそこは地球人トップクラスの格闘家、キーボードを打つ早さは超人レベルである。
「なになに、"天下一武道会板@2ch"? 天下一武道会についての掲示板みたいだな。 今の軟弱な武道会と違って、オレが居たころは激戦の連続だったからな。オレの名前が残っているのも当然か。どれどれ……」
第21,22,23回天下一武道会を語るスレ
「ヤムチャさん、お茶入りましたよ。……ヤムチャさん?」
プーアルが肩を叩くまで、ヤムチャはわなわなと震え続けていた。
自分は、この程度の人間だったか?
少なくとも今は、あの世界の頂点にいたピッコロ大魔王やレッドリボン軍を簡単に倒せるだけの実力がある。世が世なら、世界を取れるだけの実力が。
それなのに世間では、一年もの間一度も名前を触れられず、やっと触れられても「プッ」という反応しかない。実力と評価が、あまりにかけ離れている。かけ離れすぎている。
過ちは、正さねばならない。
ヤムチャはゆらりと立ち上がった。
そのまま夢遊病者のような足取りでドアへと向かう。
プーアルにぶつかってお茶がこぼれた。
ヤムチャは、それでやっとプーアルに気付いたかのような調子で振り向き、そして言った。
「見ていろプーアル。オレは頂点を取ってみせる。この世の頂点を、極めてみせる」
そして今度はしっかりとした足取りで歩いていった。二度と振り返りはしなかった。
それから一ヶ月ほどたったある日、カメハウスで18号のタンスを物色していた亀仙人は、家に誰かが入ってくる気配を捉えた。
こんな海の上だが、泥棒だろうか。
しかしそれにしては気配がまがまがしいように思える。
亀仙人はもしもの時のために、気を練りながら玄関へ向かった。
「やあやあ、誰かの〜? ピチピチギャルならいつでも歓迎じゃぞ」
ヤムチャがいた。亀仙人を見て小さく会釈する。
「おお、ヤムチャか! 懐かしいの〜。師匠を慕って会いに来たか?」
亀仙人は明るく声を掛けた。しかし気を練ることはやめずにいた。目の前にいる男が、かつての弟子とは何かが違っているように思えたからだ。
「武天老師様。ここにドラゴンボールって、……ありましたよね?」
「あ、ああいかにも持っておるが、集めておるのか? 願い事が余ったらわしにギャルを――」
「最後の二つ、二神球と六神球があるはずだ。どこにあります?」
ヤムチャは亀仙人の言葉が終わらないうちに聞いた。亀仙人は眉をひそめて、
「どんな願いに使うか教えてくれんと、渡すわけにはいかんな」
と言った。
ヤムチャは笑顔のまま、質問に答えた。
「いやー、ちょっと若さを手に入れようと思いましてね。天下を取れるだけの体力が欲しい。……もう一個の願いももう決めているんで、ギャルはあきらめちゃってください」
亀仙人は自分の洞察が正しいことを確信した。このヤムチャは、かつてのヤムチャとは違う。
窓の外をうかがう。クリリン一家は揃って買い物に出かけている。 帰ってくるまで20分はかかるだろう。それまで話を伸ばせるだろうか。
「……何故、今になって天下を取ろうとする?」
「オレが当然受けられるだけの名誉を受けていないことに気付いたからです。今から、これまでの人生の分まで取り返す」
「ヤムチャよ。おぬしはわしがジャッキー・チュンとして天下一武道会に出場していたことに、薄々感づいていたな」
亀仙人は話題を変えた。あと17分ほど、このまま話を持たさなければならない。
「その名前には嫌な思い出しかありませんよ……。で?」
「何故そんなことをしたかというと、わしは自分の弟子達が名誉だとか名声だとか言ったくだらないものに、 ……もう一度言おうかの。
そういう"くだらないもの"にとらわれて精神の鍛錬をおろそかにするのではないかと案じたためじゃった。
もっとも22回大会で、わしはわしの弟子にはその点での心配は要らないと気付き、大会を早々と降りたのじゃが……。 どうやら見込み違いがあったようじゃ」
「オレのことっスか」
「そうじゃ。残念ながらの」
「どうやらオレのやろうとしていることに反対のようですね。仕方ない……。腕ずくでやらせてもらいますよ」
ヤムチャは気を開放した。しかし彼が攻撃するより先に、亀仙人は最大にまで高めた気をいっきに放出していた。
気功波はヤムチャを捉え、包み込み、完全に拘束した。
「萬國驚天掌じゃ……。もはや動けまい。 苦しいだろうが、このままクリリン達が戻ってくるまで待ってもらおう。 そうしたら、……もう一度修行のやり直しじゃ」
ヤムチャは光線に包まれながらも笑い出した。
その笑いはだはははは、とかあはははは、といった、かつてのヤムチャの笑いとは違っていた。
亀仙人はぞっとした。
「苦しい? 武天老師様、あなたもオレを過小評価しているようですね。確かにオレは動けない。動けないが、この程度――」
ヤムチャは深く息を吸い込み、「はっ」という声とともに爆風のような勢いで吐き出した。
その風圧は亀仙人を吹き飛ばし、壁にしたたかにたたきつけた。衝撃で窓が割れ、驚天掌の呪縛は解ける。
「さわやかな風をプレゼントしてあげました」
ヤムチャはおどけていった。
「ドラゴンボール、勝手に捜させてもらいますよ」
「ね、捻じ曲がったか。……ヤムチャ」
「武天老師様だって考えたことがあるはず」
ヤムチャはそういうと、少し考えてつけたした。
「……いや、あなたは考える必要がなかったんですね。あなたは頂点にいた。悟空や悟飯とは比べものにならないほど長い間」
「ああ、だから言おう……。天下など、虚しい」
「オレは虚しさすら味わえていない」
ヤムチャは二つのドラゴンボールを見つけ出し、窓から飛び立った。やがて空が暗くなった。
5分後、はいずるようにしてカメハウスから出た亀仙人は、より強力な気に身を包んだヤムチャに出会った。
「ヤムチャよ」
亀仙人は時間を計算した。あと2,3分で、クリリンたちが帰ってくるはずだ。 空が暗くなったのに気付いて、急いでくれるかもしれない。
「考え直すことは出来んのか?」
「もう後戻りは出来ません」
ヤムチャはそういうと、亀仙人の顔を右手で掴んだ。その手のひらの感触に、亀仙人は奇妙な違和感を覚えた。 しかしその違和感も、続いて感じた急激な脱力感に押し流され、亀仙人はやがて力尽きた。
手を離したヤムチャは、スカイカーのエンジン音に気付いた。
「クリリンたちか。今のオレならクリリンは何とかなるかもしれない。が、18号はダメだ。ここは引くべきだな……」
傍らの亀仙人に目をやった。
「武天老師様、あなたは証人になってください。オレはもうすぐ天下を取ります。あなたとプーアルがそれを見届ける」
ヤムチャは気配を抑えたまま飛び立った。
「……って、言うわけなんスよ。まさかオレもヤムチャさんがそんなことするなんて信じられないけど」
クリリンは説明を終え、カメハウスに集まった面々を見回した。
孫悟空、悟飯、悟天、パン、ベジータ、ブルマ、トランクス、ピッコロ、デンデ、 天津飯、チャオズ、サタン、ブウ、ビーデル、ウーブ、18号、ランチ、プーアル、ウーロン、カメ。
今生きている最強クラスの戦士はほとんどここにいる。そしてほとんどがヤムチャより強い。
それなのにクリリンは、頼もしさとともに違和感を感じた。
ヤムチャがいないからだ。こういう緊急事態にみんなで集まる時は、いつもヤムチャも一緒にいた。今度はそれは無い。ヤムチャ自身が敵だからだ。
「あの、馬鹿が……」
天津飯がつぶやいた。
「確認せんでも馬鹿だ」
ベジータが言う。
「それで、ミスターサタンとブルマさんには、」
クリリンはベジータを無視して言った。
「警察とかからヤムチャさんについての情報を流してもらって欲しいんです。ただし手は出さないように。ヤムチャさんを発見したらすぐオレらに伝わるようにして欲しいんスけど」
「ああ、そんなことなら任せてくれ。よかったぁ。私も戦うことになるんじゃないかと心配していたんだ」 サタンが胸をなでおろした。
「私もそれなら簡単にできるわ。でもあんたたち、ちゃんと連絡がつくところにいなさいよ。特に孫君と天津飯さん」
ブルマが二人をにらみつける。
「ああ。とりあえずオラとウーブは天界で修行することにすらぁ」
「オレとチャオズは、精神と時の部屋を使わせてもらおうか……。使えるか?」
天津飯が聞いた。
「ええ。一度壊れましたが、ポポさんが直してくれました」
デンデが答える。
「あんたら、本当にトレーニングのことしか頭に無いのね……」
「しかし今回は無駄になる……。ブルマ、ヤムチャの情報が入ったらすぐにこのオレに知らせろ。一瞬で消してやる……。瞬きするほどの一瞬でな」
ベジータが口を挟んだ。
「言われなくても伝えますとも……。あんたが連絡の取れる場所にいればね」
「しかしヤムチャの奴、無謀な真似をしやがる」
ピッコロが言った。
「ベジータの言うように、あいつの実力ではオレたちには到底かなわん。殺してくれといってるようなものだ」
「そうとは限らんかもしれんぞ」
聞きなれた声がした。部屋の入口に、亀仙人がいつものアロハシャツ姿で立っている。 甲羅を背負っていない分、体調は優れないのかもしれない。
「仙人様、まだ寝ていた方が……」
カメが心配そうに言った。
「話が終わったらすぐに寝よう。今回もわしの力は役に立たないようじゃからな……」
亀仙人はそういうと、ピッコロのほうに向き直った。
「おぬし確か、人造人間と戦って気を吸い取られた経験があったな」
「あ、ああ……」
「そのときの感覚はこうじゃなかったか? "不思議な突起のついた手のひらで顔をつかまれた瞬間、急激に力が抜け、気が遠くなった"」
「ヤムチャさんがゲロに気を吸われた時と同じだ!」
クリリンが声を上げた。
「武天老師様。まさか……、それって」
「わしの勘違いでなければ、ヤムチャの奴に触れられたときにもその感覚があった。あやつが使った、ドラゴンボールの二つめの願い、それはおそらく――」
その時、ずっと音楽を流していたテレビの画面が急に切り替わった。
そして緊張した面持ちのアナウンサーが、突然の出番に準備が足りなかったのだろう、 チラチラ原稿を見ながら、一文字ずつ確かめるようにハッキリした発音でニュースを伝え始めた。
「緊急ニュースです。ただいま入った情報によりますと西の都在住のパンプットさんが、栄養失調によって亡くなっているのが先ほど発見されたとのことです。警察では事件性ありとして調査を始めています。パンプットさんは格闘家として名高く――」
「なんじゃと!」
「これって、まさか……」
その場の全員がテレビに注目した。
「栄養失調といっても、パンプットさんは前日まで健康であったことが確認されており、前日までの姿に比べ発見された遺体は明らかにやせ細っていることなどが、警察に他殺の判定を下させたようです。現場からのコメントによりますと、まるであのセルに吸収されたかのようだと……、
あ、はい、新しい情報が入りました。警察が他殺と判断したもうひとつの要因として、現場に「樂」と記された紙が残されていたことが今発表されたとのことです。 これはあのピッコロ大魔王を思わせる――」
「奴だ」
ピッコロが言った。
「殺害方法はセル、現場の紙はオレの父……、オリジナリティに欠けた野郎だぜ」
「でも、これで……」
悟飯が口を開いた。
「ヤムチャさんが吸収能力を持っていることが証明されましたね。ああやって力を上げて行くつもりなんだ。少しずつ、お父さんやベジータさんに近づいて行くつもりなんですよ。相手が強ければ強いほど、勝利した時のパワーアップも大きい」
「奴があの人造人間どもの吸収能力を持っているなら、エネルギー波は通じない……、 自分よりある程度強い相手にも勝てるだろう」
ベジータが吐き捨てるように言った。
「てめえらオレの足を引っ張るんじゃないぜ」
「父さんが一番足を引っ張りそうな気がしますけどね。めんどくさいからあたり一体を吹っ飛ばす、とか言って」
トランクスが真面目腐った顔で言い、ベジータに「小遣い抜き」を宣告された。
「本当に懐かしいですね。昔カリン塔に登られたとき以来でしょうか」
ウパが、突然聖地を訪れたヤムチャに言った。
「本当だ。いやあ、お前も大きくなったな」
ヤムチャが答える。
「ヤムチャさんは変わらないですね。ほとんどあのころのままだ。やっぱり身体を鍛えてるからですかね」
「いや、鍛えてることとは関係ないさ」
ヤムチャが答えて、少し笑った。実際のところ、彼の肉体年齢はウパよりも若い。
「じゃあ、もともと年を取らない体質なんですかね。父上が聞いたら羨ましがりますよ。 もう最近じゃ年のせいで、薪を割るのも息が切れるって嘆いてましたから」
ウパは、少し寂しそうに笑った。
「じゃあ今はウパの方が、ボラさんより強いのか?」
「ええ、まあ。お話の続きは家のほうでしませんか? 父上も――」
「そうか、お前はボラより強いのか……」
ヤムチャの手がウパの顔を掴んだ。ウパが驚き抵抗するが、力は緩まない。 斧で斬りつけると、斧の方が粉々に砕けた。
「天下を取るのも、出来るだけ犠牲は最小限に済ませたいからな。お前の家族には手を出さないで置こう。……悪いな、ウパ。」
ウパの抵抗が止んだ。
「あ、あああ……!」
地上を千里眼で見回していたデンデが、悲痛な声を上げた。
「どうしました、神様」
ポポが心配そうに尋ねる。悟空たち、天界に集まっていた戦士も側に駆け寄ってきた。
「ヤムチャさんが、今聖地カリンに居ます。ウパが……、代々カリンを守ってきてくれたものですが、ウパが今、襲われています」
「ウパが! おい、デンデ! どこだ? ヤムチャはカリンのどこにいる?」
悟空が驚いて声を声を上げた。
「塔から見て……」
デンデが身を乗り出す。
「北へ1キロほど進んだ地点です。近くに……、小川が流れています。ああ……。今、ウパの命が尽きました」
デンデががっくりと肩を落とし、その身体をポポが支えた。
代わりにピッコロが宮殿の端に立ち、デンデの示した方角を見据える。 しかし千里眼を使う暇もなく、すぐに振り向いて叫んだ。
「デンデ! そこを離れろ!」
「え?」
小さな気の弾――操気弾が一直線にデンデを目指し飛来してきていた。
デンデは気付かない。肩を落とし、姿勢を低くしているから死角に入っている。
ポポが素早くデンデを突き飛ばし、操気弾の前に立ちはだかりデンデを庇うように身構えた。
しかし操気弾はポポの前で急激に角度を変えて上昇し、上空からデンデの頭上に降りかかる。
弾かれたように飛び出した悟空がデンデを脇に抱えるのと、操気弾がデンデの身体を直撃するのはほぼ同時だった。
そしてデンデは、自らの身を回復する暇もなく力尽きた。
「しまったぁ!」
ピッコロが叫び、再び下界に視点を移して千里眼を使ってヤムチャを捜した。 同時に天津飯らもヤムチャの気を探ったが、ヤムチャはどちらの捜査にも掛からなかった。
「デンデがやられた……。ドラゴンボールはもう使えない。ウパやパンプットを生き返らしてやることは、もう出来ねぇ」
悟空が悔しそうに言った。
「ナメック星のドラゴンボールを借りるというのは?」
「そいつはダメなんだ天津飯……。ナメック星の位置がわからねぇ。瞬間移動で行くしかないんだが、地球からはナメック星人の気を感じられねぇ。界王星から瞬間移動すれば大丈夫だが、界王星は、……セルにぶっ壊されちまった」
沈黙が降りた。
「神様……」
ポポがつぶやいた。彼は泣いていた。
どうやら上手く探知をかわしたようだ。ヤムチャは小さく溜息をつき、ニヤリと笑った。
聖地カリンの人間を殺せば、ピッコロかデンデの目にとまることは分かっていた。 その時彼らはヤムチャの現在地に一番近い、宮殿の北の端に立つ。これである程度狙うべき位置が分かる。 細かい微調整は気の探知ですればいい。
「あいつらもすっかり平和ボケしたようだな。気配を消し忘れていたからデンデを狙い撃ちするのも楽勝だったし、オレがすぐそばを通り過ぎたことにも気付かなかったんだからな」
ヤムチャは天界の宮殿を"見下ろしながら"言った。
そう、上手くデンデを倒してもまだピッコロがいる。彼の千里眼で見つけられてしまっては意味がない。 そこでヤムチャは一か八か、操気弾を撃つと同時に上空へ飛び上がったのだった。 千里眼は神やカリンが下界を見るのに使う技。自分より上に敵が居るのには気付けない。
とはいえ悟空とピッコロが居る宮殿の側を通り過ぎるのはかなりの賭けだったが、上手くやり遂げた。 どうやらツキはこちらにあるらしい。
ヤムチャはもう一度ニヤリと笑うと、気配を消したまま慎重に飛び去っていった。
「ナムさん、どちらへ行かれるのですか?」
顔見知りの村人に声をかけられ、ナムは立ち止まった。 村人は荷物を積んだ大型のスカイカーの運転席から、人のよさそうな顔をのぞかせている。
「水を汲みに行くのですよ」
ナムは静かに答えた。
「ああ、確かにそろそろそんな季節ですな。しかし村長であるナムさん自らが出かけなくても……」
「いやいや、私が頼んでやらせてもらっているのですよ。時々都会へ行くのは、私の楽しみなのです。村の子らにもお土産を買ってやれますしね」
「ほほう」
村人は感心したように顎を撫でた。
「しかし、道中は山賊などがいて大変でしょう。向こうの町までスカイカーで送りましょうか?」
「いや、それには及びません。私はこれでも、山賊などには負けないつもりですし」
そう言ったナムの視界の端に、黒い影が映った。 影は道端の小さな茂みに入り込み、鋭い殺気を放ちながら、同時に不気味に沈黙している。
ナムの眉間に皺が寄った。
「ははあ。ナムさんはあの天下一武道会に出場されたんでしたな。しかし山賊は平気だとしても、砂漠を越えるには砂嵐などもあります。やはり向こうの町まででも」
「いや、構いません。それより町に行く用事があるのなら、私に構わずどうぞお先に」
「しかし――」
「早く!」
ナムの口調が強くなったのを訝りながら、村人はスカイカーを走らせて行った。
残されたナムは、緊張した面持ちで茂みを見つめていた。
確かに山賊程度ならどうにでもなる。 しかし自分よりはるかに強い敵を相手に、自分の力はどこまで通用するだろうか。
あの天下一武道会以来、強敵と言える相手とは戦ったことは無い。勘が鈍ってはいないだろうか。
茂みが大きく揺れた。
ナムは弾かれたように空高く飛び上がり、腕をクロスさせて急降下した。
ヤムチャの動きはまったく警察の網にかからず、 ブルマとサタンのもとに情報が寄せられることはなかった。
パンプットを殺害したのがヤムチャであることを伝えれば警察も本腰を入れて捜査してくれるかもしれないが、その代わりに逮捕しようとした警官に犠牲者が出る危険がある。
しかたなく悟空たちは、 警察からの連絡も期待しながら自分たちも下界でヤムチャを捜す二重の作戦を取ることにした。
戦力が散らばることは危険でもあったが、 まだヤムチャの力が弱いうちに手を打たなければさらに危険が増す。
このような理由で天津飯は、チャオズとともに砂漠の町を訪れた。
しかしここでも、ヤムチャの情報はまったく得られなかった。よほど用心深く行動しているらしい。
天津飯は町での捜査をチャオズに任せ、自分は砂漠を越えた先にある村に向かった。
砂漠を半分ほど渡ったころ、調子の悪かったカーラジオが突然音を出し始めた。 何かの角度の関係か、ちょうど上手く電波を受信したらしい。
「……やはり現場には「樂」の字が残されていて――」
天津飯は耳をそばだてた。しかしラジオはそれだけ言うと再び雑音混じりになってしまった。
天津飯は急ブレーキをかけ、ゆっくりとさっきの位置まで後退した。 再び電波の入りがよくなり、ラジオは不明瞭な音でニュースを伝えはじめた。
「……ナムさんの死因もやはり栄養失調であり、直前まで元気だったこともパンプットさんの時と共通しています。警察では同一犯と見て調査を開始しています」
天津飯の3つの目が見開かれた。間違いなく、ヤムチャが再び牙を剥いたのだ。
ニュースは淡々と続けられる。
「ナムさんは砂漠の村の村長として、長らく村人の信頼を集めていたとのことです。なお、ナムさんは若いころにあの天下一武道会への出場経験があり、これはパンプットさんと共通――」
天下一武道会の出場者。
最近でなく若いころとあったのだから、ヤムチャが知っていてもおかしくは無い。
そう言えばピッコロ大魔王の事件の中で聞いた名前のような気もする。 ヤムチャと同時期に天下一武道会に出場し、見知っていたのだろう。 ……だから狙われた。
しかしそれよりも重大なことをアナウンサーは述べている。
"砂漠の村"。
自分が今いるこの砂漠を、越えてすぐの村でヤムチャが事件を起こした。
村のさらに向こうは乾燥した高い山と海しかない。空を飛べるにしても行く意味のない場所だ。
対して村のこちら側には、食料も泊まるところも充分な町がある。
つまりヤムチャは村のこちら側――この砂漠に、いる。
天津飯は3つの目を凝らしてあたりを見回した。前方にはいない。 気付かずに追い越したのかと思って後方も見てみたが、やはり見当たらない。
この砂漠では人間を見落とすことはないはずだ。もうすでにここを離れたのだろうか。 天津飯はそう考え、何気なく空を見上げた。
と、同時に、車のフロントガラスを突き破って外に飛び出した。
一瞬の後、空から落下してきた何かによって、車は粉々に砕け散っていた。
間一髪で攻撃を避けられたのだ。
巻き起こる砂埃から3つの目を守りながら天津飯が見たものは、かつての仲間、ヤムチャだった。
「よう、天津飯」
ヤムチャは普段と変わらない調子で天津飯に声を掛けた。
「よく空からの攻撃に気付いたな。さすがだぜ」
「偶然だ。偶然空を見上げていなければ、やられていた……」
天津飯は着ていた外套を脱ぎ捨て、戦闘態勢をとった。
「腕を上げたな。マトモじゃない方法でだが……」
「ああ。お前を倒してさらに腕を上げるつもりだ」
ヤムチャは悪びれる様子もなく言った。
「残念ながらそいつは無理だ。お前のパワーアップを見こんでも、まだオレの方がはるかに強い。試してみるか?」
「そうしよう」
ヤムチャは素早く天津飯に踊りかかっていった。
「新狼牙風風拳!」
「その技は天下一武道会の時に見切っているぜ!」
ヤムチャの手刀を、天津飯は余裕を持って受け止めた。
ヤムチャは素早く腕を引っ込め、「オウ」という掛け声とともに両手を突き出す。 天津飯は腕を十字に構えこれを受け止めたが、衝撃で僅かに後ろに飛ばされた。 ヤムチャはその隙を逃さず、かめはめ波で追い討ちをかける。 しかし天津飯は後ろに吹っ飛びながらも印を切り、気合でかめはめ波をかき消した。
ふたりは着地して、一旦構えを取り直した。
「すべて防御して見せるのはさすがだが、オレよりはるかに強いとまでは行かなかったようだな。むしろオレがやや優勢なようだ。お前はかめはめ波を完全に跳ね返すことは出来なかった。……そうそう、この吸収装置は意外と不便でな。自分の気は吸収できないんだ」
ヤムチャの言葉に、天津飯は不敵に笑った。
「そう、ほとんど差はなかった。今はな。"界王拳を使わなかったオレ"と、"界王拳3倍のお前"が互角だった。オレの方がはるかに強いといった、これが理由だ」
天津飯の身体を赤いオーラが包んだ。
ヤムチャが防御体勢を取るより早く、天津飯の膝蹴りがみぞおちに決まっていた。 天津飯は反撃の間を与えず、ヤムチャを空中に蹴り飛ばし、素早くそれに追いつくと地面に強烈に叩きつけた。
「見たか。これがオレの実力だ」
天津飯は腕組み出来るだけの余裕を取り戻していた。
「今のは界王拳2倍だが、オレは界王拳を、お前と同じ3倍まで極めている。界王拳を使わずにいてもお前といい勝負が出来るのに、オレは3倍まで強くなれる。……降伏しろ、ヤムチャ」
「まだだな」
ヤムチャがゆっくりと起き上がり、ペッと血ヘドを吐き出した。
「まだ勝てる」
「勝てる? どうやってだ」
「戦闘で重要なのはパワーやスピードだけじゃない。……オレはお前に技で勝てる」
「技だと? 気功砲や四妖拳に、操気弾や狼牙風風拳で勝てるとでもいうのか?」
「そう。オレがいまいち活躍できなかったのは、やっぱり技がしょぼいってのもあるんだよな。だからオレは対策をとった」
ヤムチャが構えを取った。
「対策?」
天津飯も腕組みを解いて身構える。
「さっきオレは上空からお前を攻撃した。あんな攻撃パターン、お前は初めて見たんじゃないか? あの攻撃には名前がある。……天空X字拳ってんだ」
「天空X字拳? それがお前の新技か?」
「ああ。かつてナムってやつが得意としてた技だ」
「ナム、が?」
天津飯はさらに身体を緊張させた。
「まさか、お前――」
「オレが吸収できるのは、戦闘力だけじゃない」
ヤムチャは両手を突き出した。
「萬國驚天掌!」
ヤムチャの手から飛び出した光線は、天津飯の身体を包み込み、完全に封じ込めた。
「か、身体が、……動かん」
「どうだ? お前の動きと技は封じられている。界王拳も使えないだろ。そして界王拳が使えなきゃ、お前はオレより少し弱いわけだ」
ヤムチャは腕に力を込めた。天津飯の身体に激痛が走る。
「お、お前は……、相手の戦闘力だけじゃなく、わ、技も……」
「ああ、オレは手のひらに触れた相手の力と技を吸収できる。この萬國驚天掌は武天老師様の技だ」
天津飯は痛みに苦しみながらも考えた。
ヤムチャが吸収した相手の技を使えるというのなら、自分が吸収されることは非常にまずい。 あのセルの動きでさえ止められる上に連射も出来る大技、新気功砲を覚えられてしまう。 そして太陽拳は、追われる身であるヤムチャにとって非常に便利な技だ。
渡すわけには、いかない。
天津飯はどうにか逃げようとして、金縛りの中でもがいた。 しかし界王拳が使えない今は、どうやっても萬國驚天掌を抜けられそうに無かった。
力が抜けて行く。
(チャオズ!)
天津飯は最後の力でテレパシーを飛ばした。砂漠を越えて、チャオズに届くように。
(これからお前に、オレが手に入れたヤムチャの全情報を伝える! お前はすぐに逃げて、情報を悟空たちに伝えるんだ。いいか、すぐにそこから離れろ! 決してこいつと戦うな!)
数分後、最後の情報を伝え終わった瞬間、天津飯の身体から力が抜けた。
ヤムチャは天津飯に近寄り、手のひらを彼の頭に当てた。